長い間こっちに入れなかった・・・
CATVに変えたので接続方法のせいで認識してくれないのだ
ログインパス思い出すの苦労したぁー
サイト下げようかと思ったんですけど
これ下げちゃったら私
ナースとしての自分を忘れちゃうかなとか思い治してみたり
なのでCATVのサイトにこそっと引っ越ししていたりします。
CGIのパーミッションが・・・思い出せない・・・<日記とか・カウンターとか>
http://home.catv.ne.jp/hh/sizuku/
ここです(爆)
まだトップファイル治しただけ・・・(爆)
昨日もと患者さんから電話来ました
退職するのをすごく気にかけてくれていた
胸椎腫瘍で下半身麻痺残ってしまった50代の女性なんですけど
再就職もおぼつかずに目標すら見失ってしまった私に
「あなたがいたから穏やかに入院生活を送れたのよ?」って言ってもらえて
すごく泣いた
思い立って出したファックスが
裏表間違えて出してしまって
まったく誰が出したんだかわからないものだったのに
(間違って送っちゃったのは・小論文の参考にってプリントアウトした他のナースさんの日記でした。考え方が似てるなぁって思った人のもの)
彼女は探し当てて電話してきてくれた
まるで引き寄せられたかのように
「あなただと思ったの」って
小論文がうまく書けなくて
自分の5年間がまるでなにもできていなかったように思えて
「私が前の病院でしてきたことってなんだったのかしらって・なにか残せていたのかなって思うんです」って弱音を吐いたら
「今ね、私は訪問看護を受けてるんだけど
『お通じが出ない苦しみ』がどんなだかわかってるし、それを助けてくれたあなたが大変だったってこともわかってるから・看護婦さんの順番待ちが苦じゃないの。前のお宅で時間かかってしまってうちに来るのが遅れてしまった時でも、心穏やかに待てるの。それはあなたが私にしてくれた事が残ってるからなのよ?そうやってあなたが残してくれたものはちゃんと『訪問看護婦さん』や『前の利用者の方』や『私』に影響してくれてるのよ。それだけあの時の事は私の中にすごく感謝の気持ちとして残ってるのよ?」
下半身が麻痺してしまっている彼女は
本当に『お通じ』に困っていた
私のゴールドフィンガーはそんな時にうってつけだったし・またタイミングよく彼女の苦しんでいる場面に遭遇した
「こんなことさせてごめんね」
彼女は何度も言うから
それが看護者として「当たり前」になっていた私は
「患者さんがすっきりしてくださると私もすっきりしますしね?頼みにくかったら私を専属にして呼んで下さってもかまいませんよ?私はここ(整形病棟)じゃ適便のプロですから」
ことあるごとにそう声をかけた
『苦しい時はお互い様・いつか自分も看護される時が来ます。人はどこかで繋がっていくから、もしかしたらあなたのお孫さんが私や、私の子供を看取ってくれる人になるかもしれないでしょう?』
私は恐縮してしまっている患者さんにはいつもそう言って声をかけていた
「あなたがしてくれた事は確かに『キャリア』として残るものではないけれど、どんなに優秀なナースだって『心』がない人もいた。あなたには『あなたらしい』看護があった。それは私達患者にとってはとても素晴らしいもので自信を持って良いのよ?私は離れてもあなたの『お母さん』のつもりでいるの。それを忘れないでね?」
たくさん・たくさん泣いて
そして
書いていた小論文を捨てた
私が欲しいのは「大学病院就職」という肩書き?
遊んで暮らせるお給料?
十分休める為の休暇?
家で看護を必要としてる人がいる
私は
いつかそう言った人達のところへ行くんだと思って来た
それは
整形外科だけじゃなく内科系・外科系を極めてからじゃなきゃダメなんだと思い込んで来た
けれど
「いつでも待ってるから」
そういってくれた個人病院の婦長さん
そこにはできたての訪問ステーションがあった
夜勤ができるうちはきっと配属は違うかも知れないけれど
もしかしたら
「キャリア」にこだわらなければ
私にでもなにかできることがみつけられるかもしれない
まだ迷ってる
本当はこのまま家におさまっていた方がいいかもしれないとまで考えた
同期の一人の言葉が未だに刺さっていた
「あんたは大きいとこより老人看護とかのほうが合ってるよ。ペースがとろいから。大きいトコいったらそこのスタッフがいい迷惑だよ」
急性期が向かないことなんてよくわかっていたけど
その言葉に負けてしまうのも嫌だった
でも
本当にやりたかったことってなに?
「できること」「やりたいこと」
その微妙な差は
大きな壁かも知れない
でも
「できることだけ」をやる
そんな生き方はしたくない
今を
「できることだけ」で費やしていきたくない
「やりたいこと」は願えば必ず叶う
看護婦になる時だってそうだった
周りは無理だと言った
カラダも心も弱いあんたには無理だって
でも「やりたい」一心でなれた
それはきっとこれからも同じだ
できないことだって
「やりたい」と思えばできる
いつかできる
私があたりまえに過ごして来た日々が
こうして誰かに残って
私がもうだめだって思った時に
やさしい形で帰って来てくれた
あたたかい言葉として
本当はまだ迷ってる
大学病院には最新の医療があって看護がある
それを吸収するのはいましかない
年齢制限もぎりぎりだ
でもそこに私が「やりたい」ことはある?
まだ迷ってる
原点に帰ろう
白衣に初めて袖を通したあの日
全ての未来は
本当に真っ白で
前だけ見ていたあの日
「できること」だけが「やりたいこと」じゃない
1ヶ月有余をください
思い出そう
あの日の
真っ白だった自分を
CATVに変えたので接続方法のせいで認識してくれないのだ
ログインパス思い出すの苦労したぁー
サイト下げようかと思ったんですけど
これ下げちゃったら私
ナースとしての自分を忘れちゃうかなとか思い治してみたり
なのでCATVのサイトにこそっと引っ越ししていたりします。
CGIのパーミッションが・・・思い出せない・・・<日記とか・カウンターとか>
http://home.catv.ne.jp/hh/sizuku/
ここです(爆)
まだトップファイル治しただけ・・・(爆)
昨日もと患者さんから電話来ました
退職するのをすごく気にかけてくれていた
胸椎腫瘍で下半身麻痺残ってしまった50代の女性なんですけど
再就職もおぼつかずに目標すら見失ってしまった私に
「あなたがいたから穏やかに入院生活を送れたのよ?」って言ってもらえて
すごく泣いた
思い立って出したファックスが
裏表間違えて出してしまって
まったく誰が出したんだかわからないものだったのに
(間違って送っちゃったのは・小論文の参考にってプリントアウトした他のナースさんの日記でした。考え方が似てるなぁって思った人のもの)
彼女は探し当てて電話してきてくれた
まるで引き寄せられたかのように
「あなただと思ったの」って
小論文がうまく書けなくて
自分の5年間がまるでなにもできていなかったように思えて
「私が前の病院でしてきたことってなんだったのかしらって・なにか残せていたのかなって思うんです」って弱音を吐いたら
「今ね、私は訪問看護を受けてるんだけど
『お通じが出ない苦しみ』がどんなだかわかってるし、それを助けてくれたあなたが大変だったってこともわかってるから・看護婦さんの順番待ちが苦じゃないの。前のお宅で時間かかってしまってうちに来るのが遅れてしまった時でも、心穏やかに待てるの。それはあなたが私にしてくれた事が残ってるからなのよ?そうやってあなたが残してくれたものはちゃんと『訪問看護婦さん』や『前の利用者の方』や『私』に影響してくれてるのよ。それだけあの時の事は私の中にすごく感謝の気持ちとして残ってるのよ?」
下半身が麻痺してしまっている彼女は
本当に『お通じ』に困っていた
私のゴールドフィンガーはそんな時にうってつけだったし・またタイミングよく彼女の苦しんでいる場面に遭遇した
「こんなことさせてごめんね」
彼女は何度も言うから
それが看護者として「当たり前」になっていた私は
「患者さんがすっきりしてくださると私もすっきりしますしね?頼みにくかったら私を専属にして呼んで下さってもかまいませんよ?私はここ(整形病棟)じゃ適便のプロですから」
ことあるごとにそう声をかけた
『苦しい時はお互い様・いつか自分も看護される時が来ます。人はどこかで繋がっていくから、もしかしたらあなたのお孫さんが私や、私の子供を看取ってくれる人になるかもしれないでしょう?』
私は恐縮してしまっている患者さんにはいつもそう言って声をかけていた
「あなたがしてくれた事は確かに『キャリア』として残るものではないけれど、どんなに優秀なナースだって『心』がない人もいた。あなたには『あなたらしい』看護があった。それは私達患者にとってはとても素晴らしいもので自信を持って良いのよ?私は離れてもあなたの『お母さん』のつもりでいるの。それを忘れないでね?」
たくさん・たくさん泣いて
そして
書いていた小論文を捨てた
私が欲しいのは「大学病院就職」という肩書き?
遊んで暮らせるお給料?
十分休める為の休暇?
家で看護を必要としてる人がいる
私は
いつかそう言った人達のところへ行くんだと思って来た
それは
整形外科だけじゃなく内科系・外科系を極めてからじゃなきゃダメなんだと思い込んで来た
けれど
「いつでも待ってるから」
そういってくれた個人病院の婦長さん
そこにはできたての訪問ステーションがあった
夜勤ができるうちはきっと配属は違うかも知れないけれど
もしかしたら
「キャリア」にこだわらなければ
私にでもなにかできることがみつけられるかもしれない
まだ迷ってる
本当はこのまま家におさまっていた方がいいかもしれないとまで考えた
同期の一人の言葉が未だに刺さっていた
「あんたは大きいとこより老人看護とかのほうが合ってるよ。ペースがとろいから。大きいトコいったらそこのスタッフがいい迷惑だよ」
急性期が向かないことなんてよくわかっていたけど
その言葉に負けてしまうのも嫌だった
でも
本当にやりたかったことってなに?
「できること」「やりたいこと」
その微妙な差は
大きな壁かも知れない
でも
「できることだけ」をやる
そんな生き方はしたくない
今を
「できることだけ」で費やしていきたくない
「やりたいこと」は願えば必ず叶う
看護婦になる時だってそうだった
周りは無理だと言った
カラダも心も弱いあんたには無理だって
でも「やりたい」一心でなれた
それはきっとこれからも同じだ
できないことだって
「やりたい」と思えばできる
いつかできる
私があたりまえに過ごして来た日々が
こうして誰かに残って
私がもうだめだって思った時に
やさしい形で帰って来てくれた
あたたかい言葉として
本当はまだ迷ってる
大学病院には最新の医療があって看護がある
それを吸収するのはいましかない
年齢制限もぎりぎりだ
でもそこに私が「やりたい」ことはある?
まだ迷ってる
原点に帰ろう
白衣に初めて袖を通したあの日
全ての未来は
本当に真っ白で
前だけ見ていたあの日
「できること」だけが「やりたいこと」じゃない
1ヶ月有余をください
思い出そう
あの日の
真っ白だった自分を
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