朝焼け

2002年9月11日 看護観
受け持ちの患者さんがまた亡くなった

50代で、「家を立て直すんだ」って
腹水でイッパイになったお腹で
やっとのことで椅子にこしかけて
眠れない夜はずっと製図を書いてた

不動産業に転職したばかりの
まだやりてのお父さんだったHさん

肝臓癌だった

進行性の

もって半年と言われたのに
あっというまだった

入院から2ヶ月だった

腎臓が機能しなくなって
短期で透析を開始した
でも、導入当初心配されていた通り、離脱不可能になった

「家に連れて帰りたい」
そう言う奥さんに
痛み止めうんぬんではもうない事を告げた時、
私の頭には、透析にさえ通える体力があったなら大丈夫だという頭があった

腹膜透析をせざるをえなくなり、
その手術の為、腎内に転科転棟したのは
月曜日

私は風邪を引いて寝込んでしまい
最後の顔を覚えていない

ペンアタを打ったあと、どろどろに寝てしまったHさんを、
必要以上に心配する奥さんをたしなめて
「午前中に、どうしてもお風呂は入りたいっておっしゃって、
体調よくなさそうだからやめましょうって言ったんですけど、
やっぱりそのせいですかね。
すこしお疲れになったみたいで。」
そういって、痛み止めの点滴のカラボトルをはずして・・・
その日の夕方、眠りこけるHさんの傍で
奥さんに言われた言葉

「滴さん、もう私我慢できそうになくて。
自分ではまだ大丈夫って思ってるでしょう?
でも、知らないから無茶するの。見てられない。」

癌は告知されているけれど
転位は知らされていない。余命も。
無理をおして行った外出の夜出した高熱から
自分の体力を過信していたと落ち込みながらも、
「次ぎは退院するまで我慢するよ」と
数カ月後の退院を夢見ながらも、自分の死の予感に怯えていたかも知れないHさん

昼夜逆転気味な生活も、
昼間やっとのことで眠りに附いているところを起こせなくてそっとしておいた

できるかぎり奥さんに
一緒に処置に入ってもらったりしながら
Hさんの機嫌をうかがった

昼間は気難しく、口数がすくない人だったけど
静かな夜ほど、細かいわがままやおしゃべりをしてくれた

受け持ちとして
普段頼ってくれない人が
こうしてちいさくてもワガママを言ってくれる事はすごくうれしいから
治療に支障がない程度、できるだけ聞いた

昨日
奥さんが来て
主治医だった先生を是非呼んで欲しいと言われた

その姿が、いつものと違う気がして
早めに来てもらえるように
ポケベルを鳴らした
「あの奥さんがせっぱつまってるのはいつもだよ」なんて言いながらも
しぶしぶ来てくれた先生は
患者さんの容態を見て
引き返して来て

「もう一回、うちで取れないかな」と言った

私のワガママで言えば、正直引き取れるなら
今夜中にでもすぐにでも引き取りたかった
そうすればよかった

ターミナルを見慣れていない病棟は
融通が聞かない
普段、「傍にいてくれ」なんて言わない人だったのに、昨日はだだをこねたらしい
でも、そこの病棟では例外は認められなかった
6人部屋でのつきそいは不可能だし、リカバリ−ルームみたいな大きめの部屋もない

もし、うちで引き取れたなら、リカバリ−で
ストレッチャーでもなんでも入れて、
ずっと奥さんを傍にいさせてあげられる環境が作れたのに
奥さんは、ラウンジにすらいさせてもらえなくて
なぜかうちの病棟のラウンジに降りて来ていたらしい
もう 最後だと言うのに
その時は最後じゃないと判断されて
返されたのだ

あのまま転科させていなければ
Hさん本人に告知してしまわなければやっていけないほど
奥さんは追い詰められなかったのかも知れない
そうでなかったとしても、告知されてしまってからの気力のフォローを
なんらかの形でできたかもしれない

悔しいよ

悔しい
先生と、昨日
主任さんに相談して、ベット空けてもらおうって言っていた矢先だった

受け持ちのもう一人である先輩に手紙を書いて
「受け入れ体勢を整えて」なんてお願いしたりして
できるだけ、悔いのない看取りができたらって

なのに
ステーションから一番遠い病室
暗い廊下側の6人部屋におしこめられて
彼は
逝ってしまった

もう        どこにもいない
3年の闘病生活を終えて
最近亡くなったSさんて患者さんがいて
みんなそのSさんが大好きだった

家に帰ってからも
思い出しては泣いた

とても仲のいい御夫婦だった
理想の御夫婦だった
そのSさんの奥さんに、

「あなたいいわね。総胆管?うち肝臓全部なのよね」
そんな暴言はいちゃうほど、Hさんの奥さんもせっぱつまっていた

Sさんの奥さんもそんなこと言われて辛かっただろうし、
その話が出た時はみんなHさんの奥さんを責めたけど
受け持ちだったせいか、私は責める気持ちにはなれなかった

やりきれない思いが
すごく残る

どうしたって
もうなにもできないけれど

Hさんごめん 
あの時、強引にでも先生を説得して
昨日のうちに個室とってあげればよかったよね
そしたら、静かにおだやかに
逝けたかも知れないよね

そう思うと

すごく悔しいよ

今朝
夢を見た
休みの日なのに、
いつもより早く起きた

病室から、一生懸命朝日の写真、とってたよね
「物持ちいいだろ?数十年前のカメラなんだよ」って言いながら
朝日の写真を無心にとってたHさん

できた写真見せて下さいねって
言えなかった私に

「できたよ」って写真見せてくれた夢

もうきっと
見る事はできないだろうと思うくらい

綺麗な朝焼けだった

コメント

滴

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