在宅で死ぬということ
2004年5月13日 失業&就職活動
高校生の頃
看護の日に一日看護体験というものがあって
学生さんや社会人で「看護」に興味ある人が集い、病院で一日看護を体験するというものがあった
そこに、高校生になってから3年間
毎年申し込んで、いろんな医療の現場にいかせてもらった
中学生のとき「看護婦になりたい」
そう言った私を一瞥して「あんたがなれるとでも思ってるの?」と言い放った母
それに対して「意思は変わらない」という事をアピールするのと同時に
自分の意思が変わらないように、きちんと現実を見たかったからというのもあった
何年目だったか忘れてしまったけれど
とある区内の小さな診療所にお手伝いに行ったとき
在宅看護の現場につきそうことになった
居間の日当たりのいいところに置かれたベットに
静かに寝ていたその人は
「看護婦さんが来ましたよ」という家人の声に
くしゃくしゃの笑みをたたえて手を振っていた
小春日和の、とても穏やかな日だったのを覚えてる
酸素ボンベの点検をして、チューブを新しいものと交換して
バルンチューブも交換して
家人が見守る中
そっと体位を変えて、背中と仙骨にあるデクビの消毒をはじめた
素人の私には直視できるものではなかったのだけど
これから医療にいくんだ。目をそらすのは失礼だ。
そんなことを思って、看護婦さんの指導の元、そっと腰を支えていた
うろ覚えだけど
その頃は「在宅看護」っていうものがどんなものかはよくわからなくて
「おばあちゃんがね、家で死にたいんだって言うから、無理言って帰ってきたの。でも、私たちにはここの消毒がどうしてもできなくて。
そしたら、かかりつけだった●●医院さんが『行きますよ』って言ってくださったの。」
「幸せよね。おばあちゃん」
そんな問いかけに、おばあちゃんは目を細めて笑ったように思えた
訪問看護とは、そういった患者さんの願いを聞き入れて
在宅での看取りを可能にするもの
私の頭の中にインプットされた「訪問看護」
それは
「いつか私も、そんな願いをかなえられるような看護がしたい」
という看護観につながっていった
なのに
自信がある専門は整形外科だけ
そういったベースに自信がもてなくて
とりあえず内科・外科の基礎知識をと思って配属された混合は
特殊も特殊で広く、浅く
看護師になって5年
ケアマネの資格を!と思っていたのにずるずる取れないまま来て
なんだかなと思うままに過ぎた2年間
退職を期に「訪問へ!!」と思ったら
「あなたのは理想論。現実はね、『在宅じゃ困る家族』なんてごろごろいるのよ。」
そう言ったのは、前職場のO看護師
痴呆の義父を抱える、50代の看護師さんだ
家族の面倒を見ながら、介護もして、3交代もこなす彼女
そんな彼女と、退職を控えた頃に交わした会話
「★さんは、ここのケアマネさんがもう少し頑張ったら、在宅いけると思うんですよね!」
なんてのんきに言った私に
「患者は望んでいても、家族は望んでないから、ケアマネも頑張れないのよ」
そう言い放ったO看護師
その意味が、今ひとつわからなくて
「でも患者さんは望んでいるんだし・・・。家族も最後のお願いくらい・・・。」
そう返したら、「理想論〜!」
在宅になって、一番大変なのは家族
それはわかってる
それを手助けしていくのが訪問看護でしょ
そして、不可能を可能にするのが訪問看護でしょ
そう思ったのだが全て「理想論」で返されてしまった
こないだの面接のあと、一緒についてきてくれたおばちゃん看護師にその話をして
「私が言うのは理想論ですか?」
と聞いたら
やっぱりそこでも「滴ちゃんは夢見てるね」と言われた
そうなの?????
面接の時の師長さんの言い回しも気になって
実際ステーションの所長になった後輩のHちゃんに連絡を取る
「利用してる人も、どこまでしてもらえるのかわかっていない人が多くて
ひどいとおむつ交換の時まで電話してくる家族もいますよ。
指導しますよって言っても無視して、『金払うからやってくれ』って言うんですよ」
実は3年間くらい、訪問看護のMLに入っているのだが
そういえば、利用者がセクハラをしてくるというものもあったな
個人のステーションはやはり患者の紹介が少なく
病院直属のステーションのほうがいいとのこと
そんな話をしている際にも彼女の『職場の携帯』が鳴り
会話終了
Hちゃんは『職場用』『患者さん用』『プライベート用』3つの携帯をもつ
絶え間なく連絡があり、メールはいつも返事が返せない
ねえ・・・私のは理想論?>Hちゃん
一番聞きたいことが聞けなかった・・・
出さなかった訪問STへの書類
捨てられずに・・・・
断ち切れずにいる・・・
看護の日に一日看護体験というものがあって
学生さんや社会人で「看護」に興味ある人が集い、病院で一日看護を体験するというものがあった
そこに、高校生になってから3年間
毎年申し込んで、いろんな医療の現場にいかせてもらった
中学生のとき「看護婦になりたい」
そう言った私を一瞥して「あんたがなれるとでも思ってるの?」と言い放った母
それに対して「意思は変わらない」という事をアピールするのと同時に
自分の意思が変わらないように、きちんと現実を見たかったからというのもあった
何年目だったか忘れてしまったけれど
とある区内の小さな診療所にお手伝いに行ったとき
在宅看護の現場につきそうことになった
居間の日当たりのいいところに置かれたベットに
静かに寝ていたその人は
「看護婦さんが来ましたよ」という家人の声に
くしゃくしゃの笑みをたたえて手を振っていた
小春日和の、とても穏やかな日だったのを覚えてる
酸素ボンベの点検をして、チューブを新しいものと交換して
バルンチューブも交換して
家人が見守る中
そっと体位を変えて、背中と仙骨にあるデクビの消毒をはじめた
素人の私には直視できるものではなかったのだけど
これから医療にいくんだ。目をそらすのは失礼だ。
そんなことを思って、看護婦さんの指導の元、そっと腰を支えていた
うろ覚えだけど
その頃は「在宅看護」っていうものがどんなものかはよくわからなくて
「おばあちゃんがね、家で死にたいんだって言うから、無理言って帰ってきたの。でも、私たちにはここの消毒がどうしてもできなくて。
そしたら、かかりつけだった●●医院さんが『行きますよ』って言ってくださったの。」
「幸せよね。おばあちゃん」
そんな問いかけに、おばあちゃんは目を細めて笑ったように思えた
訪問看護とは、そういった患者さんの願いを聞き入れて
在宅での看取りを可能にするもの
私の頭の中にインプットされた「訪問看護」
それは
「いつか私も、そんな願いをかなえられるような看護がしたい」
という看護観につながっていった
なのに
自信がある専門は整形外科だけ
そういったベースに自信がもてなくて
とりあえず内科・外科の基礎知識をと思って配属された混合は
特殊も特殊で広く、浅く
看護師になって5年
ケアマネの資格を!と思っていたのにずるずる取れないまま来て
なんだかなと思うままに過ぎた2年間
退職を期に「訪問へ!!」と思ったら
「あなたのは理想論。現実はね、『在宅じゃ困る家族』なんてごろごろいるのよ。」
そう言ったのは、前職場のO看護師
痴呆の義父を抱える、50代の看護師さんだ
家族の面倒を見ながら、介護もして、3交代もこなす彼女
そんな彼女と、退職を控えた頃に交わした会話
「★さんは、ここのケアマネさんがもう少し頑張ったら、在宅いけると思うんですよね!」
なんてのんきに言った私に
「患者は望んでいても、家族は望んでないから、ケアマネも頑張れないのよ」
そう言い放ったO看護師
その意味が、今ひとつわからなくて
「でも患者さんは望んでいるんだし・・・。家族も最後のお願いくらい・・・。」
そう返したら、「理想論〜!」
在宅になって、一番大変なのは家族
それはわかってる
それを手助けしていくのが訪問看護でしょ
そして、不可能を可能にするのが訪問看護でしょ
そう思ったのだが全て「理想論」で返されてしまった
こないだの面接のあと、一緒についてきてくれたおばちゃん看護師にその話をして
「私が言うのは理想論ですか?」
と聞いたら
やっぱりそこでも「滴ちゃんは夢見てるね」と言われた
そうなの?????
面接の時の師長さんの言い回しも気になって
実際ステーションの所長になった後輩のHちゃんに連絡を取る
「利用してる人も、どこまでしてもらえるのかわかっていない人が多くて
ひどいとおむつ交換の時まで電話してくる家族もいますよ。
指導しますよって言っても無視して、『金払うからやってくれ』って言うんですよ」
実は3年間くらい、訪問看護のMLに入っているのだが
そういえば、利用者がセクハラをしてくるというものもあったな
個人のステーションはやはり患者の紹介が少なく
病院直属のステーションのほうがいいとのこと
そんな話をしている際にも彼女の『職場の携帯』が鳴り
会話終了
Hちゃんは『職場用』『患者さん用』『プライベート用』3つの携帯をもつ
絶え間なく連絡があり、メールはいつも返事が返せない
ねえ・・・私のは理想論?>Hちゃん
一番聞きたいことが聞けなかった・・・
出さなかった訪問STへの書類
捨てられずに・・・・
断ち切れずにいる・・・
ISBN:416359650X 単行本 押川 真喜子 文芸春秋 2003/04 ¥1,300
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