高校生の頃
看護の日に一日看護体験というものがあって
学生さんや社会人で「看護」に興味ある人が集い、病院で一日看護を体験するというものがあった

そこに、高校生になってから3年間
毎年申し込んで、いろんな医療の現場にいかせてもらった

中学生のとき「看護婦になりたい」
そう言った私を一瞥して「あんたがなれるとでも思ってるの?」と言い放った母
それに対して「意思は変わらない」という事をアピールするのと同時に
自分の意思が変わらないように、きちんと現実を見たかったからというのもあった

何年目だったか忘れてしまったけれど
とある区内の小さな診療所にお手伝いに行ったとき
在宅看護の現場につきそうことになった

居間の日当たりのいいところに置かれたベットに
静かに寝ていたその人は
「看護婦さんが来ましたよ」という家人の声に
くしゃくしゃの笑みをたたえて手を振っていた

小春日和の、とても穏やかな日だったのを覚えてる

酸素ボンベの点検をして、チューブを新しいものと交換して
バルンチューブも交換して
家人が見守る中
そっと体位を変えて、背中と仙骨にあるデクビの消毒をはじめた

素人の私には直視できるものではなかったのだけど
これから医療にいくんだ。目をそらすのは失礼だ。
そんなことを思って、看護婦さんの指導の元、そっと腰を支えていた

うろ覚えだけど
その頃は「在宅看護」っていうものがどんなものかはよくわからなくて
「おばあちゃんがね、家で死にたいんだって言うから、無理言って帰ってきたの。でも、私たちにはここの消毒がどうしてもできなくて。
そしたら、かかりつけだった●●医院さんが『行きますよ』って言ってくださったの。」

「幸せよね。おばあちゃん」

そんな問いかけに、おばあちゃんは目を細めて笑ったように思えた

訪問看護とは、そういった患者さんの願いを聞き入れて
在宅での看取りを可能にするもの

私の頭の中にインプットされた「訪問看護」
それは
「いつか私も、そんな願いをかなえられるような看護がしたい」
という看護観につながっていった

なのに

自信がある専門は整形外科だけ

そういったベースに自信がもてなくて
とりあえず内科・外科の基礎知識をと思って配属された混合は
特殊も特殊で広く、浅く

看護師になって5年
ケアマネの資格を!と思っていたのにずるずる取れないまま来て
なんだかなと思うままに過ぎた2年間

退職を期に「訪問へ!!」と思ったら

「あなたのは理想論。現実はね、『在宅じゃ困る家族』なんてごろごろいるのよ。」

そう言ったのは、前職場のO看護師

痴呆の義父を抱える、50代の看護師さんだ
家族の面倒を見ながら、介護もして、3交代もこなす彼女
そんな彼女と、退職を控えた頃に交わした会話

「★さんは、ここのケアマネさんがもう少し頑張ったら、在宅いけると思うんですよね!」
なんてのんきに言った私に
「患者は望んでいても、家族は望んでないから、ケアマネも頑張れないのよ」
そう言い放ったO看護師

その意味が、今ひとつわからなくて
「でも患者さんは望んでいるんだし・・・。家族も最後のお願いくらい・・・。」
そう返したら、「理想論〜!」

在宅になって、一番大変なのは家族
それはわかってる

それを手助けしていくのが訪問看護でしょ
そして、不可能を可能にするのが訪問看護でしょ

そう思ったのだが全て「理想論」で返されてしまった

こないだの面接のあと、一緒についてきてくれたおばちゃん看護師にその話をして
「私が言うのは理想論ですか?」
と聞いたら
やっぱりそこでも「滴ちゃんは夢見てるね」と言われた

そうなの?????

面接の時の師長さんの言い回しも気になって
実際ステーションの所長になった後輩のHちゃんに連絡を取る

「利用してる人も、どこまでしてもらえるのかわかっていない人が多くて
ひどいとおむつ交換の時まで電話してくる家族もいますよ。
指導しますよって言っても無視して、『金払うからやってくれ』って言うんですよ」

実は3年間くらい、訪問看護のMLに入っているのだが
そういえば、利用者がセクハラをしてくるというものもあったな

個人のステーションはやはり患者の紹介が少なく
病院直属のステーションのほうがいいとのこと
そんな話をしている際にも彼女の『職場の携帯』が鳴り
会話終了
Hちゃんは『職場用』『患者さん用』『プライベート用』3つの携帯をもつ

絶え間なく連絡があり、メールはいつも返事が返せない

ねえ・・・私のは理想論?>Hちゃん

一番聞きたいことが聞けなかった・・・
出さなかった訪問STへの書類
捨てられずに・・・・

断ち切れずにいる・・・


ISBN:416359650X 単行本 押川 真喜子 文芸春秋 2003/04 ¥1,300

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滴

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