ありがとう

2004年11月17日 日々の徒然
たくさんのありがとうをあなたに
もっともっと伝えたかった

最後、辛い思いをさせやしなかったろうか

苦しくはなかったろうか
痛くはなかったろうか

乾いて閉じることの出来なくなった瞳で
最後にうつしたものはなんだったのか

もっともっともっと

大切にしてあげればよかった

敬老の日
「母親に合いたくない」なんて意地をはらずに
あなたに逢いに行けばよかった

悔しいよ

でも

おじいちゃんの月命日だった17日0時33分
日付が変わったとたん、静かにとまった呼吸

皮肉にも私がしたサクションが引き金になってしまった
苦しくは・・・なかったかな・・・・


頻度を増す痙攣発作を見ていられなくて
使ったセルシン
呼吸抑制が来ることなんてわかってた
40まで低下した血圧をDOAであげて、
セルシンで下がればまたDOAをあげて・・・のいたちごっこ

眼球がむくんでしまって開きっぱなしの瞳を
いとこと交代でぬれタオルで押さえてあげつつ
「痙攣おさまってきたね」なんて髪をなでながら
叔母たちと、たわいもない思い出話で
笑っているときだった

痙攣したときに泡沫上唾液が出てしまって
私が看護師だってのはばれてるから
物品もあるし、自分でやるか・・・ってサクションかけて
一息ついた直後

「レイトが落ちてる!」ってスタッフが駆け込んできた
そこからはあっという間だった

自分でトイレに貼った「五木ひろし」の特大ポスター
「五木さんが見てるみたいで、出るものが出ない!!」って
顔赤らめてもじもじしてたおばあちゃん
おちゃめな人だった

みんなのにぎやかな会話に
一緒に笑ってくれていたかのような
やさしい顔をしてくれていた

本当は嫌だったんだけど
みつけられなかったガンがどこかにあるはずだって
病理解剖を委託された
肝硬変だけにしては経過が変わってるって
出血源も結局わからずじまいで
輸血もまったく意味がなかったし

傍にずっとついていたK子さんも
なんでこんなに急に悪くなっちゃったのかって
死因しっかり調べて欲しいってのもあったけれど

お人よしのあなただったら
「是非に今後の医療のためにも使ってくださいな」って言うだろうって
手術に送り出した

私は仕事を休ませてもらえなくて
見送ることも出来なくて
後ろ髪引かれる思いでお昼に帰宅して
その足で準夜に向かった


でも、最後に傍にいられたこと
本当に嬉しかった


心残りは
あの時した、サクション
苦しかったんじゃないかなってこと

引き金を引いてしまったんじゃないかなってこと

あの時一緒に祖母の手をさすってくれてた旦那は
「痰が取れて、すっきりしてよかったんだよ。
やさしい顔してたよ。」って言ってくれた

「みんなの笑い声の中で逝けてよかったんだよ。」
妹もそう言ってくれた

「おじいちゃんの月命日とあわせたくて17日を待ってたんだよ。十分頑張ってくれたじゃん。」って
弟もそう言ってくれた

覚悟はできていたけれど
やっぱり
悲しくて仕方がなかった

上京して職探しをする両親のために
私は2歳まで田舎で祖父母に育てられた

掃除が得意で、いつも東京に遊びに来ては
共働きで散らかし放題の子供が3人いる我が家の掃除をしてくれてた

元がお嬢様育ちだったから
晩年はわがままだったけど、冗談が好きでよく笑わせてくれて
とてもかわいらしい人だった


たくさんのごめんねとありがとうがあなたに
届きますように

楽になれたかな
おじいちゃんは迎えに来てくれた?
22年ぶりに逢えたのかな・・・・

コメント

滴

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